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嘘に寛容な社会から (2025/04/26)
昔は、こんなに嘘に寛容な社会だったろうか?
自分が子供の頃の、政治家の常套句は「記憶にございません」だった。嘘をついているには変わりはないが、完全に否定しないという辺り、まだ「恥」や「良心の呵責」を感じる。聞いてる側も「こいつ嘘をついてるんだなぁ」と認識できる。
しかし最近は、「嘘をついても、開きなおる」というのがスタンダードになっている。嘘を嘘だと証明するのは難しい。自信満々に「私は正しい」と言われると、
「こんなに自信満々に言うのなら、まぁ、そうなのかもしれない……」と思ってしまう。そりゃそうよ、人間、信頼で繋がってるんだから、何もかも疑っていくわけにはいかない。信頼の上に、建設的に、物事を進めていく。それが人間社会だろう。
でも、そこがセキュリティホールなんだよなぁ。「自信満々に言われると、簡単に否定できない」という人類のセキュリティホール。
だからこそ、ここ10年の嘘のはびこる世の中には絶望してしまう。開き直る権力者、金のためにYouTubeやXで陰謀論を垂れ流す人間……これはもう、この嘘に寛容になってしまった社会を変えていくしかない。嘘にペナルティを。反省がなければ、一発退場で良いでしょ。
たぶん、嘘に不寛容になれば、世の中もっと良くなるよな。これはもう、個人個人が意識をするしかない。