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私とコンピューターとプログラミング (2023/08/20)

コンピューターとの関わりを振り返る

今思うと、当時としては、かなり若い頃からコンピューターやプログラミングに触れてきた気がする。両親がコンピューター関係の仕事をしてたというわけでもないので、ここまでの環境を提供してくれたのは、かなりの理解があったと言える。

当時のコンピュータ環境(?)とプログラミング力を振り返ってみよう。

SG-1000ⅡとBASIC (小学生)

小学校3年生か4年生ぐらいの時に、SEGAのSG-1000Ⅱ というゲーム機を買ってもらった。ゲームで遊びたいのもあったが、「プログラミングをしてみたい」という気持ちもあり、BASICのソフトとキーボードも一緒に買ってもらった(その後、データーレコーダーも)。しかし、何でプログラミングをしたい、なんて思ったんだろう……。まぁ、当時はファミリーベーシックもあったし、そこまで特殊という感じでもなかったのかもしれない。

今もそうだが、当時からかなりの天邪鬼だったと思う。なぜ最初のゲーム機がセガハードだったのか……セガにそこまで思い入れがあったという記憶がない。とにかく一貫してマイナー志向人間だったのだろう(とは言えその後、ファミコンは買っている)。

話が逸れた。「実際、小学生の時にどれくらいのBASICプログラムが書けたのか?」……というと、殆ど理解できなかったと思う。GOTO, PRINT あたりは理解できていたかな? 変数、条件文、GOSUB あたりは無理だったと思う。

MSX2+ (中学生)

中学校の入学記念に、MSX2+ (A1WX) を買ってもらった。これはSG-1000Ⅱに比べるとかなりパワフルな環境だった。念願のフロッピーディスク対応!ワープロが使える!マウスで絵も描ける!

中学生になり、どれだけプログラムが書けるようになったのか? と言えば、小学生の頃に比べると対した進歩はなかった。変数、条件文、FOR、あたりは理解できるようになったと記憶している。グラフィカルな処理や、マシン語を操るような凄いコードを書ける程の才能はなかった。黒い背景に白い文字で「スライムの攻撃! 30のダメージ」みたいな文字を出し、画面をフラッシュさせるようなものしか作れなかった。MSX雑誌のプログラム投稿者は天上人だった。

その後、MSX turboR (FS-A1ST) も買ってもらったが、特にプログラミング能力が向上する事もなかった。タッチタイピングは、ワープロソフトでローマ字入力のをひたすら練習したお陰でマスターした。

KORG 01/W FD (高校生)

高校入学記念に、何を買ってもらうか悩んだ。シンセサイザーか、パソコンか。選ばれたのは、KORG 01/W FD でした。X68000(当時は存在を知らなかった)なんかを買って貰えていたら、もうちょっと違うプログラミング人生を送っていたかもしれない。当時は音楽熱の方が高かった時期だったので、特に後悔はなかった。01/W FD は素晴らしかった。

当時はまだ「専用ハードウェア」の性能が凄かった時代だ。当時最新のゲーム機はスーパーファミコン (1990年) だ。スーパーファミコンで凄い曲と言えば、アクトレイザー。こんな感じのBGMになる。かっこいい。

一方、01/W FD に付属したデモソングがこちら。このデモソングにはぶっ飛んだ。流石にSFCより凄い。シンセサイザー1台でここまで作れるとは。「自分で音を作れるのがシンセサイザー」の凄いところなんだろうけど、シーケンサーとしてしか使ってなかったなぁ。今思えば勿体ない事をした。

プログラミングはMSXで細々と続けていた気がするが、大した進歩はなかったと思う。

FMV と Pascal/Delphi (大学生)

大学入学と同時に、大学指定の Windows3.1 マシン (FMV) を購入した。確かIntel486/66MHz/メモリ16MB ぐらいのやつ。高校生の頃から PowerBook に憧れがあったけど、まぁ FMVで良かったのではないか。

大学の情報処理の授業では Pascal が使われていたのだが、ここで驚くべき事が起こった。Pascal を、プログラミングを、完全に理解できたのだ! 高校生まで、あれだけ苦労していたものが、するするする……と入ってきた。変数も、関数も、ポインタも、何でも簡単に理解できた。今までの苦労は何だったんだ!

2年になったら生協の学割で Delphi2.0 を購入。もちろん Delphi も簡単に理解できた。作りたいと思ったものは、大体作れるようになった。グラフィックスプログラミングに夢中になった。その頃から現在まで、やってる事は大して変わらない。

理解できるようになった理由

なぜ突然プログラミングが理解できるようになったのだろう? 幾つかの要因が考えられる。
どれも可能性は高いし、それらが複合的に作用して理解できるようになったのかもしれない。挫折し続けてきたのは無駄ではなくて、それらは来るべき時の準備に繋がっていたのかもしれない。